2014年1月8日水曜日

2014/1/7 電車で子供が騒いでいるのをNVC的にどう対応する?

2014年になりましたね。あけましておめでとうございます。
年末ものすごく忙しくなってしまい、気持ちがいっぱいいっぱいで、
なかなかブログを書く気力がでませんでした。
スペースが必要でした。

正月はゆっくり休んで、ようやく少し、気持ちが戻ってきましたので、
またぼちぼちブログも書いていこうかなと思ってます。

自己表現、つながり、創造性のニーズから。

さて、最近、ホリエモンさんが、公共交通機関などで子供が騒いだ場合は、子供に眠り薬を飲ませて眠らせれば良い、というような内容をツィートして炎上しているらしいですね。

それで思い出したのですが、
少し前に、NVC関連のコミュニティでそれと関連あるご質問を受けました。余裕ができたら私の考えを書きます、とお伝えしてましたので、
NVC的な対応だとどうなるだろう、
ということについて書いてみたいと思います。

質問内容は、次のようなものです。

「幼い子供が電車の中ではしゃぎ回っていて、周りの乗客が
迷惑そうにしている。母親は優しそうで、子供に注意できないでいる。
母親を傷つけずに周りの人の不満も解消して子供もおとなしく
なる関わり方はありますか? NVCではどう関わりますか?」

私がもしその場にいたらどうするでしょうか。
やることはまず、セルフエンパシー(自己共感)です。

NVCではまず、判断を交えずに客観的に現象を見ます。
ですので、何が「観察」なのかを見てみます。

子供が声をあげながら、車内を走っている。

周りの乗客は迷惑な思いをしていると、私は考えている。
(考えている、という観察)

母親はだまっている。
母親は困っているだろう、と私は考えている。
(考えている、という観察)

次に、自分の中にあるフィーリングとニーズに目を向けて、
そこに共感する。こんな感じ。

私は、周りの人がこの状況を不愉快、迷惑に感じていると
考えているんだ。
それはどんな感じがする?

居心地が悪い・・・
落ち着かない・・・
不安、心配な気がする・・・

何のニーズが満たされてないんだろう?

心の平安、気遣い、配慮
ひとりでいるスペース
調和・・・

母親がだまっている、ということで
私はどんな考えがあるんだろう?
「母親は子供をおとなしくさせるべき」
という考えがある?

NVCでは、誰が何をする「べき」という考えから
どれだけ離れることができるか、というのが
ひとつのポイント。

もし、「母親は子供をおとなしくさせるべき」
と私が考えているなら、
そこにも満たされないニーズがあるはず。

気遣いや、スペース、理解
相互協力
思いやり、協調性

そうやって自分のニーズとつながると、
気持ちは落ち着いてくる。

私がもしその場にいたら、たぶんやることは、セルフエンパシーだけになると思う。

NVCを知っているからといって、必ず、状況をNVC的に”解決”
しなければいけない、ということはない。

ただもし、その母親に声をかけたい、という気持ちになったとしたら。
そしてそれが本当に自分が喜びからしたい、と思えるなら、
声をかけるかもしれない。
こんな感じで。

「子供さんが走り回ることで、周りのみなさんに
迷惑がかかるんじゃないかと心配なんでしょうか。
周りに配慮したいと思っていんだけど、
走るなと子供に言っても自分のいうことをきいてくれないことが
多いので、もどかしく感じておられるんでしょうか。」

NVC的なつながりを持つというのは
ある程度時間的にも余裕が必要なことが多くなる。
隣の席にたまたま座って、ゆっくり話せそうな状況なら
そうやって声をかけるかもしれないが、
かけられなくても、それはそれでいいと思う。

ただ、そのように自分の中で考えて、
その女性を見てあげるだけでも、それは共感、エンパシーを
送ることになる。
共感をするというのは、その相手に共感的な意識を向ける、ということだから。

ただ、他の人にエンパシーを送るためには、
まず自分自身が十分にエンパシーを受け取る必要がある。
だからセルフエンパシーが必要だった。

お母さん以外の周りの乗客が
「不機嫌」なように自分が感じているなら、
先ほどと同じように、その考えを持っている自分のフィーリングと
ニーズにまず、エンパシーを送る。

ただ、たぶんそこでだまっている人たちにはわざわざ声はかけようとはしないと思う。

ただサイレントエンパシーとして、
「あの人は静かにすごすスペースが必要なのかな」
というようにエンパシーを送る。

走り回っている子供に対しても、直接声はかけないかもしれないが、
次のようにサイレントエンパシーを送るかもしれない。

「とてもワクワクしてうれしいのは、きっと冒険や
運動、楽しみのニーズが満たされてるんだな」

こうやって周りのニーズにひと通り、思いを送り、その上で、
すべてのニーズを満たす、何かいい手段が思いつくか、考えてみる。

ニーズにつながることなしに
いきなり手段の話から入ると、だいたいは
反発がきたり、理論的な反論になったりする。
そこには、「つながりの質が高い人間関係」は生まれにくい。
ギスギスしたやりとりになりがちだ。

NVC的な対応というのは、どんな状況でも、
自分や相手のニーズに思いを向ける、ところからはじまる。

表面的には何もアクションはしていないかもしれないが、
内面的な心、意識の向け方を変えるだけで、
NVC的な対応になる。

NVC的な何かアクションをする「べき」だ、という
ところから離れて自分自身とつながることが第一歩になると思う。

そして自分が心の底から喜んで、相手とつながって
つながりの質を向上させたい、と思えるのであれば、
ニーズにつながった自分の状態で、
相手にリクエストを出すかもしれない。
でも何も言わない、ということを選択する自由があるし、
何もしない、という自分を受け入れる、ということも可能だ。

私の考えはこんな感じです。
長くなってしましました。
参考になっているでしょうか?

では、2014年も、どうぞよろしくお願いします。